運命は生まれながらにして決まっているのか?

 

運命の人、引き寄せる、

運命の人は運命好転のキーマンであり、
あなたの人間性を高めてくれる


「人生の師」でもありますが、
一つだけ注意してもらいたいことがあります。


それは、「運命の人と出会い、運をよくしてもらおう。


ツキをもらおう」と短絡的に考えたり、
運命の人と出会うことだけを
最終目標にしてはならないということです。

 

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大切なのは、自分の力で運命を切り開こうとする、
自己実現に向けての姿勢“を保持することであり、
運命の人というのはその過程において現れるものなのです。


先に述べた偉人たちとて運命の人に
おんぶにだっこだったわけではありません。


「どうにもならない運命をどうにか変えていこう」
という意気込みと日々の努力が運命の人を


引き寄せたともいえます。つまり、
自らの目的意識と選択が運命を決定づけたのです。


彼らにとっての運命の人というのは、
あくまでそのサポートをしたにすぎないのです。


ところで、中国の昔話にこんな話があります。


昔、中国が元と呼ばれていたころ、
貧しい農村出の青年が易者に自分の将来を
占ってもらったことがありました。


その易者は青年に「あなたは何歳でこうなって、
何歳でこうなる。そして何歳で亡くなる」と伝えましたが、


この話を聞いたとたん、
青年は生きる張り合いをなくしてしまいました。


一生貧乏暮らしを余儀なくされ、
最後は孤独に亡くなるんだろうと言われたからです。


以来、青年は畑仕事をやめ、
朝から晩までお酒を飲んでは
居眠りばかりするようになりました。


「あくせく働いたってどうせ
貧乏暮らしから抜け出せない。


努力したってしなくたって同じこと。


物事に一喜一憂するのもバカらしい。


すべては決まっているのだから-・-・
と人生を諦観していたのです。


そんなある日、村を通りかかった一人の僧侶が青年に
「あなたはなぜ働かないのか?」 と聞いてきたので、


青年は易者から言われたことを話し、
「運命が決まっているのなら、
ジタバタしてもしかたがない」と答えました。


すると、僧侶は
「それは違うーインチキ 占い師の言葉に


惑わされてはいけない」と言い、
次のように説きはじめました。

 

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「あなたは易の意味を完全に履き違えている。


運命がどういうものかを見るのが易ではありません。


易とは本来、変わるという意味です。


逆に変わらないことを不易という。


だから、 運命というものは日々変わるのです。


いや、あなたの望む方向に
変えていくことだってでき るのです」


僧侶にこう教えられた青年は、
「なるほど。言われてみればそのとおりかもしれない」


と考え、農作業に従事するかたわら、
一念発起して猛勉強を始めました。


するとおもしろいことに
運命がどんどん変わっていくではありませんか。


なぜなら、村を訪れたある高名な学者と親しくなり、
それが縁でその学者の弟子になれたからです。


やがて数年後には、
難しいとされていた科挙(官吏の登用試験)にも合格し、
役人として大成することができました。


そして、かつて易者から亡くなると言われた年齢になっても
亡くなることはなく長寿を保ったのです。


運命というものは自分自身の考え方と行動により、
いくらでも変えられるということです。


よく運命論者は「運命というものは
生まれながらにして決まっており、
基本的には変えようがない。


なるようにしかならない」ということを口にします。


しかし、私はこの考えに大きな反発を覚えます。


なるほど、性別や血液型や
生年月日などはたしかに変えようがありません。


「女になんか生まれたくなかった。


男になりたい」「A型はイヤだ。0型がいい」と願っても、
それはどうすることもできません。


それこそ、その人が生まれもった宿命なのですから。


でも、宿命は変えられなくとも、
自分の心構えや考え方は
いくらでも変えられるのではないでしょうか。


運命を開くいちばんのポイントはここにあります。


心構え・考え方を変えていけば、
行動にもおのずと変化が生じ、


生き方も変わり、ひいては未来ー運命までもが
変わっていくものです。


そう、今のあなたの人生は、
かつて、あなたが意志決定したことの現れにほかならず、
運命は「因果の法則」で成り立っているのということです。

 

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